癌の恐怖

ここ数日、買い物以外は外に出ていない。仕方ないとは思っても、何とも・・・。しかも、Ⅳ期で脳転移の数と大きさからして、一時好転してる様に見えても、極めて難しいといわれると、まるで死刑宣告を受けた様だ。このまま死刑執行を、怯えながら待つだけなのだろうか。

フッと母の時を思い出す。40年も昔の話しだが、母は47歳で癌に成った。既に末期で、群大病院から転院し、太田の癌センターに入院することになった。父は諦めきれずに、1週間で100万以上もする抗がん剤治療を望んだ。母を結果的に苦しめるだけだった様だが、一言も苦しいとは言わなかった。延命効果は少しはあった様だが、治癒は全く望めなかった。自営なので事務や家事をする様に、妹が東京から呼び戻された。わずかな延命は、妹の人生を変えた。

妹は東京の化粧品会社に勤務していて、語学力を認められ、会社で初めての支店長候補としてニューヨーク支店に行く寸前だった。父の強引な申込みと、母の姿を見て妹は戻ってきた。会社の幹部の人が2回も来て、治療後は戻って欲しいと言われた。会社の先輩や同僚達からも戻る様に薦められてた。母の亡くなったあと、結局家事や事務を行う為に戻らなかった。何度か同僚や、上司の人も来たが、父は頑として聞かなかった。

その後、少し拗ねた様な時期もあったが、結婚後もいつも父や我が家の事を考えていた。時々思う、果たして妹の生き方として、これは正しかったのだろうかと。もしあの時に東京に返して、ニューヨークへ行ったとしたら、今とは全く違った生活になっていただろう。それが幸せなのかどうかは、命の果てる時までは分からないかもしれないが、今とは全く違う事になっていただろう。

カアさんも、あの義母達に利用され使われる事がなければ、去年の健康診断のあと、きっと精密検査に行き、今頃は回復をしていたかもしれない。それ以前に、あの人達に悩まされ続けなければ、癌などには成らなかったかもしれない。

人を怨む事はいけないと、あの時と振り返る事は良くないと言うが、余りにも可哀想な人生だった様に思う。自分との結婚生活も、子供達との関わり合いさえ、思えば薄かった様だ。全て実家ばかりを優先していたから。今、命が果てる事を自覚出来るようになり、初めて自分の命と生き方を考える様になった様だ。治ったら・・・というが、本当に治ったら、初めて自分の家庭の温かさと、子供達の成長した姿に感謝する事が出来ると思う。

癌は怖い。それ以上に、人を利用しようとする人が怖く憎い。この恨みは生涯忘れないだろう。

妹は、どの様にして悔しさを解消したのだろうか。時々、鼻の奥が痛み、堪えられずに涙が出てくる。自分には、この恨みや憎しみは消せそうにない。



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