小俣の石尊山と鳴石伝説

石尊山継体天皇の御代、今から1500年も昔の話し、今の石尊山に紫の雲がかかり、やがて五色の雲が湧いて石尊山を包み、七日七晩に亘って雷鳴と豪雨と山の鳴動が続いたという。八日目の朝、村人が晴れ渡った空を見、山の頂上を見ると見た事もない大きな岩が出現していたという。この名も無き山を、村人達は鳴動山と呼ぶ様に鳴ったという。

時は下って300年の後、大同3年(808年)2月15日から4月8日までの50日間、再び山頂で鳴動が始まりました。岩舟町の大慈寺で修行中であった15歳の円仁がこの話を聞き、真偽を確かめる為にやってきました。鳴動山の西の麓から登り始めると、巨大な岩に阻まれ先に進めなくなりました。その時に何頭もの猿が現れ、目指す山まで蔦葛で橋を作り、猿たちが先導して渡っていきました。

鳴石(なるいし)円仁が山頂に到着すると、山頂には石仏がありました。その石仏の前に巨石が有り、近付くのを邪魔している様でした。やがてこの巨石が鳴動を始めて、円仁を驚かせます。猿達が藤つるを持ち寄り太い縄を作り、この巨石を縛り上げました。そしてこの巨石を山から引きづり下ろしてしまいます。岩が落ち円仁が石仏に近寄ると、天から「天上天下唯我独尊」との声が聞こえ、石仏に「石仏世尊愛愍授佛教手抜済令出」の文字が浮かび出てきた。下に落ちた巨石は、以後鳴動を止めたと言われています。この円仁、後の天台宗座主、慈覚大師の修業僧時代の名前です。

円仁は石仏に浮かび出た文字を書き写し、比叡山に登り、師の伝教大師に事の次第と書き写した文字を見せました。大師はこの事を平城天皇に伝えました。平城天皇は勅命により、翌大同4年(809年)4月8日、奈良東大寺の定恵上人が小俣に下向し、石仏を勧請し釈迦如来を本尊として一乗山世尊寺を開きます。仁寿元年(851年)に比叡山より慈覚大使が小俣に下向し、「石仏世尊愛愍授佛教手抜済令出」は仏説の経文であると分かったので、山号を仏手山、院号を金剛王院と名付けられたそうです。

この定恵上人の開山、慈覚大師の建立とされている一乗山世尊寺が、後の鶏足寺に成ります。平将門を藤原秀郷を討った時、その調伏の勅命を受けていた一乗寺で不思議が起き、鶏足寺と成りました。その事は、鶏足寺由来でまた後で。

(足利の伝説:台一雄著・岩下書店 より)

小俣の伝説は面白い。

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