無為無策の人

短期だったが、警備の仕事では大勢の素晴らしい人達との出会いが得られた。その中でも、久し振りに「無為無策」に近い人に出会えた。

「無為無策」というと、「無為」はあるがままにして作為が無く、「無策」は事に望んで何らの方策・対策も立て無いという、かなり悪い意味に使われている。此処でいう「無為無策」は老子の考え方に近いという事だ。天は永遠であり、大地は久遠である。天地が永久であるのは、自らが生き続けようとはしないからである・・・という。

聖人が聖人として認められているのは、我が身を人の後に置きながら実は先立ち、我が身を外側に捨てておきながら実はそこに存在している。個人的な事に執着していないからこそ、個人的な事が成し遂げられるという。老子の「無為」を為す事の本質が、人としての大事な存在、天地自然との交わりの中での存在意義と、事の成就を指し示している言葉だと思っている。

若くて素直で、たぶんかなり恵まれた環境で育った人なのだろう。金銭的な豊かさよりも、人との関わりが恵まれていたのかも知れない。経験不足から、仕事に関しては完璧とは言えないかも知れないが、まさに「無為」を為して事に望んでいるようで、自然と周囲の人が彼に近寄り、彼の為に何事かを行っている。近寄ると、何故か心が和み、怒られたり命令をされても全く悪意が感じられない。彼と一緒に何かを行う事に喜びのようなものさえ感じてしまう。20代前半の彼には未経験な事も多いはずなのに、多くの経験豊かな人達が彼を隊長として業務に臨むとき、不思議なほどそれぞれの経験豊かな力を発揮して、伸び伸びと見事な仕事振りを発揮していた。

自らの大きな努力で伸びてきた人も居た。それはそれで、自分は大いに尊敬をした。しかし、懸命な努力で自分を磨いてきた人から見ると、ただただ皆が働きやすいようにとしか考えていない若い彼が、自分自身の成功よりも業務の成功しか考えない彼が、かなり疎ましくも感じている様にさえ思えた。困難な事に対して、自らの努力で克服するタイプと、自然と周囲に守られてしまうタイプがあるようだ。どちらが良いとは、今の世の中では断定しにくいが、「無為無策」が、多くの人の経験と考えとで、実に素晴らしい方策が組み立てられ、実行されて成功していく。

久し振りに「無為無策」に近い人に出会えたと、今も心が温かに感じられている。これから、自らをどの様に高め、磨いていくかが楽しみだ。いつか又、何処かでお会いしたい人物だ。

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