庭の柿の木

庭の柿の木今年の柿の木には実が4個だけ。例年、数百もの実がなるが、今年は渋柿の方はゼロで、甘い方に4個がなった。既に1個は鳥たちの社交場でも有るので、もう落ちてしまった。たぶんかなり甘いはずだが、今年はわずかな数しかないので、鳥達のために採らないでおこう。

今年カアさんが肺癌になったのは、この柿の木を切ったからだと、何人もの人に言われて落ち込んでいた。塩をまけとか、謝りなさいなどと言われ、何度も同じ様な事をしたが、ガンは簡単には治らない。カアさんは真剣に木を切った祟りと思っていた様だが、自分は腹の中で笑っていた。そのために木に謝っても、ガンは治らないのかも、なんて・・・バカバカしい事だ。

この柿の木は、もう50年も昔のこの辺りに水を吸い込ませる穴を掘り、その横に柿の木と越す前に庭に植えてあったドクダミの根を植えた。毎年ドクダミも出ているし、柿も実っているが、柿の木はなかなか大きく成らなかった。人に言わせれば太いと言うが、半世紀も経ってこの程度かと思ってしまう。

この辺りは人家もなく、上下水道もなかった。大型のトラックが入る道さえなかった。昔住んでいた所で、熱間鍛造を営んでいたので、騒音の問題が起き、ここに越してきた。家はそれほど裕福ではなかったのに、この辺が良いと父が言った時に、母が即金で購入し工場まで建てたと言っていた。47歳で母が亡くなった後、良く父が言っていた事は、「母が此所までしてくれた。いまあるのはあいつのお陰だ。でも、女は恐ろしい。全く知らない間に、土地と工場を即金で買うまでのヘソクリをしていたのだから」というようなことを言っていた。

その母が大事にしていたのが、ドクダミと柿の木だった。ドクダミは、まだ幼い頃に頭全体に膿を持つ病気になった時、いくら治療しても治らず、小俣の祖父が来てドクダミを噛みつぶして頭に塗ったら、すぐに瘡蓋が出来て治ったという。以来、引っ越す前の家にもドクダミが庭一杯に植えていた。榊と柿と梨とドクダミ、これがいつまでも残る思い出だった。

柿の木には小俣の祖父の教えがあり、常に自身を戒めるために柿の木を眺めていた様だ。

柿の木の下に実った物は、通りすがりの人達のために、上の実は鳥達のために、中間の実は皆で分け合う様にと言う事を言っていたそうだ。そんなようなことを、確かに小俣で聞いた様な気もする。柿の木に限らず、自然から得た恵みは独占してはいけないという、一族と集落を守る知恵の様な物だったのだろう。

母は常に親族や、近所の人達のことを気遣っていた。小俣に嫁いで、街場とは違う生き方を強く祖父に教えられたという。この柿の木だけは大事にしていた。自信の反省のために、常に眺めていたのだろう。いまは自分も、祖父の教えを思い出すために眺めている。

母が亡くなって、この柿の木は渋柿になってしまった。不思議な事もあるものだと思っていたが、渋柿の方が渋抜きをすると甘くて美味しくなった。仕事柄工場にあった炭酸ガスで渋抜きをすると、店で買うものよりも甘くて、配った誰からもお礼を言われた。またまた不思議な事に、母の33回忌を過ぎた頃から甘柿に戻ってしまった。渋柿だった方が甘くできた良かったのに、それでも近所や親戚の人達からは喜ばれた。上の方には、祖父に言われた様に、50個以上は残す様にしていた。鳥達も、この季節になると早朝から来てついばんでいた。

今年の初め、カアさんがいつも頼んでいる庭師の人が、この柿の木のほとんどの枝を切り落とした。確かに隣の庭にまで伸びているが、毎年多くの柿を渡していた。隣や近所の人達も、柿を楽しみにしていた。なのに、ほとんどの枝を落とした。専門家だけに、またすぐに伸びるとの事で、確かに今年は新しい枝を沢山伸ばしてきた。実は今年は4個だけだが、来年はもう少し多く実るだろう。が、実が実るかどうかよりも、木を切る事自体が、好きではない。毎年多額の金を払って雑草を取ってるが、それも気に入らない。雑草も、邪魔ならその分だけ切れば良いだけで、邪魔者扱いは気に入らない。

だからといって、母が大事にしていた柿の木を切ったから癌に成った、等とは思っていない。柿の木も母も、そんな考え方をするとは思えない。

無駄な雑草ははらうが、いつも自然を大事にしていた祖父の様な生き方が好きだ。雑草も木々も、あるがままに大事にしていた、そういう生き方がしてみたい。しかしなが、確かに庭一杯に雑草がはびこると、これはこれで困りものだと実感する。我が家の子供、たった一匹になってしまったキータンの背中一杯に、雑草の種を付けてくるので。

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